連載4                 沖縄 海の自然歳時記 

第4回 迷子の母さんガニ

© 2012 Shinya Imaizumi

丘から海へと、人の暮らしを抱いて続く南部の風景。奥武島(おうじま)/2012年

 社会の動向が少々さわがしい日が続き、久しぶりに静かな場所で過ごしたくなった。街で暮らしていると、少しずつ、自分の中の自然がうすまっていくように思える。
 その夜は中潮だった。海は凪いでいるだろうか。那覇で一件仕事をすませ、南風原(はえばる)から一路南へとむかう。
 古い国道の道は、街灯がところどころ灯るだけだ。星明りは見えないが、低く流れる夜の雲を追うように車を走らせる。二十時をまわり、通りすぎる集落の家明かりはまばらだった。
 南北にはしる国道が終わり、東西に島の南端をめぐる道に出た。闇の中で水音が聴こえる。垣花樋川(かきのはな・ひーじゃー)から海へとむかう流れだ。
 樋川とは湧水地を使いやすくした場所のことで、この一帯は湧水の豊富さで知られる。標高100mに満たない丘のような森から、途切れることなく流れくる水の不思議を想う。

 中学生ほどの少年が一人、自転車で坂道を下ってきた。車の横を音もなく抜け、ライトをつけずに、闇の奥へと滑りこむように影は小さくなっていった。この下は志喜屋(しきや)の漁港だ。やがて雲も切れはじめた。今夜の宿はこの海辺にしよう。

© 2012 Shinya Imaizumi
舗装路も自然に還っていく、そんな道も南部には多い。志喜屋/2012年
               *

 南部の志喜屋は、思い出深いところである。初めて沖縄に来た19歳のとき、思いついたまま路線バスに乗り終点で降りたのが、ここだった。人通りの多い那覇と違って、あたりには誰もおらず、光のあふれる集落の道をくだり、海へ向かった。
3月のよく晴れた日だった。
 木造のサバニが置いてある小さな漁港で背中の荷物を下ろし、さっそく海支度をしていると、子どもたちがやってきた。近くの広場でサッカーをしている年長の子たちの姿も見える。

© 2012 Shinya Imaizumi
志喜屋/1989年

「何してるば」「どこから来たば」わいわいと賑やかにひとしきり質問を終えると、僕の顔を見つめ、「はごー!」「はごー!」と囃したて、いたずらっぽく楽しそうに逃げていく。
 まだ言葉の意味が分からなかった僕は、ただニコニコとしているほかなかったが、「ハゴー」とは「汚い」という言葉。僕の姿格好がそうだったのか、それともニキビだらけの19歳の顔を見て言っていたのか、今でもあのときの子どもたちの声は覚えている。

 志喜屋漁港の沖には、アドキ島という小さな島があって、僕は思いつくままにその島へ泳いで渡ろうと思った。この島は無人島だが、浦賀にむかう途中の1852年、琉球に寄港したペリー提督が部下を上陸させたという。ペリーは小笠原をはじめ、いいと思った所を米国本土に「占領」するよう上申書を書いたが、このアドキ島も彼の目には魅力的に映ったのだろうか。強引なところはさておき、提督になるぐらいだから見る目はあったのかもしれない。

© 2012 Shinya Imaizumi

 また、この島では貝塚が発見されている。大潮の干潮には、歩いて渡れるのだ。
アドキ島のある南城市全体を見ると、確認されているものだけでも20あまりの貝塚があり、この海が昔から人々の暮らしを支え続けてきたことが伺える。
 最近の調査では、南部の洞から1万2千年ほど前の旧石器時代の人骨と、アワビなどの貝殻が出土している。そんな昔の人々も、この海を自由に歩いて貝やタコをとっていたのだ。船を持たずに沖合いまで歩いていって獲物がとれるのは、サンゴ礁のつくりだす絶妙な地形のおかげである。

© 2012 Shinya Imaizumi
台風で折れたモンパノキの枝/2012年

 子どもたちと離れて、僕は海辺に立った。周りには不思議と人がいない。
まだ下半身を見られるのは恥ずかしい年頃、タオルを巻きながら持ってきた安物のウェットスーツを着込む。通っていた高校の、女子の着替えのことなどを思い出した。
 山岳部の部室の隣りは女子テニス部で、間の壁には小さな小さな穴が空けてあった。ある日僕が好奇心に負けて穴をのぞいてみると、なんと、ちょうど女の子が着替えに入ろうとするところだった。心臓が高鳴り、ノドが急に乾いた。息を呑んでそのシーンに釘付けになっていると、あろうことかその子は突然振り返り、僕の覗いている穴にすーっと近づいてくる。
 まずい。完全に目が合った!と思ったとたんに僕は部室を飛び出し、学校の裏手にある墓地へとひた走った。いつもトレーニングしている高台の崖によじ登り、ようやくひと息ついた。遠くの火葬場の煙突から、まっすぐに煙が空へと高く上っている。空はどこまでも青かった。山に青春を捧げ、トレーニングに明け暮れる毎日ではあったが、やっぱりみんな「女子」の魅力には勝てない「男子」だった。

 その子の顔ははっきりと見ていないが、僕の出た高校で、誰か沖縄に来る子はいるのだろうか。ふとそんなことを思った。いたとしたら、どんな子だろう。想像すると、南のまぶしい光のせいもあるのか、心がひらけていくような気がした。

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19歳の僕  志喜屋/1989年

 夢にまで見た青い海に入れる興奮で、ウェットスーツを着る手がぶるぶると震えたが、なんとか準備を終えた。晴天で白く輝く砂浜から、そっと足を入れる。深呼吸をひとつ。ひいていく波に溶けるように、全身を伸ばした。
 これが僕の初めての沖縄の海である。

               *

 浜は、その頃とまるで変わっていないかのように静かだった。相変わらず人影がない。集落は海沿いでなく、少し山に登ったあたりに点在している。月はまだのぼってこない。波音と、虫の鳴きかわす声が混ざりあう浜に腰をおろす。夜のアドキ島が黒っぽいシルエットで見える。いろんな経歴を持った砂粒たちが、波の誘いに応える音がする。目を閉じて砂の気持ちになってみると、沢山のいのちが豊かに響きあうさまが瞼に浮かんだ。

 来る途中、浜から離れた場所で、坂道を登っていくカニに会った。オカガニという、握りこぶし大のカニで、名前の通りふだんは陸(オカ)に暮らしている。ハサミは見るからに強力そうで、はじめて見る人は「うおっ」と思わず声をあげてしまうインパクトがある。

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 車をおりて近くでよくみてみると、お腹に卵を抱えている。武骨な姿をしているが、大事な役割を控えた母さんガニなのだ。だが、母さんガニはなぜか丘のほうへと歩いていく。アスファルトに覆われた新しい道路は、縁石がカッチリと直角に造られてしまっているため、母さんガニはひたすら道路に沿って上へ上へと登っていってしまう。夜ではあるがときどき車も通る。轢かれる危険があった。こうした場合、慎重に判断しなくてはならない。母さんガニが本当はどこへ向かいたいのか、時間をおいて様子を見ることにした。

© 2012 Shinya Imaizumi
タイヤの痕も残る道端をさまよう。

 再び車に乗り、浜にむかった。ヘッドランプを頼りにテントを張る。結婚して初めての、妻との登山用に新調したダンロップのツーリングテントだ。それまでは厳しいクライミングにも対応できるように、軽量の1人用テントを選ぶことが多かったが、今回は妻が動きやすい居住性を保ち、子どもができても使えるようにと3~4人用にした。
 オカガニは陸に暮らしているが、大潮のとき集団で海に卵を放つことで知られている。一度手放した子どもたちと、後日どこかで会うことはあるのだろうか。

© 2012 Shinya Imaizumi

 キャンプの準備を終えて、カニのいた場所に戻ってきたのは、1時間ほど後のことだった。探してみると、なんとさらに集落に近いところ、国道にすぐ、という場所にまで上がっていた。彼女は何らかの理由で放卵を諦め、もどってきた帰り道なのだろうか。しかし卵をあらためてよく見てみると、道端のススキや草に擦れ続けて表面がボロボロになっている。彼女自身も、気のせいかくたびれているように思えた。

© 2012 Shinya Imaizumi     

 僕の心は決まった。潮は中潮だが、大潮向かいだ。彼女はまた海に向かうつもりなのかもしれないが、国道の横断はリスクが高すぎる。やんばるで、無数に轢かれていたオカガニたちの死骸が脳裏をよぎる。
 一度海に連れて行ってみよう。それで母さんの反応がなければ、また考えよう。

               *

 車のタオルを持ってきた。ゆっくりと母さんの進路に敷く。すると、まったく逡巡することなく彼女はタオルの上に乗った。そのままそっと巾着のように包みこんで持ち上げると、確かな重みが伝わった。責任を感じた。助手席に載せて走り出してもじっとしている。弱っているのか、考えているのか、とても静かだ。
 助手席にヒト以外を乗せるのは久しぶりだった。轢かれて亡くなったイヌ、ネコ。道端でひろったカエル。傷ついたカラス。あとは何だったろう。怪我したり、死んでしまった生きものとの出会いが、浮かんでは消えた。この母さんには、生きて子どもたちを未来へと放ってほしかった。

© 2012 Shinya Imaizumi

 海に着き、車からおりる。潮騒をもう彼女は聴いているだろう。波打ち際にタオルを置き、ゆっくりと生地をひろげると、僕はその場から離れた。
 タオルからいったん降りたあと、母さんガニは長いあいだ動かなかった。夕飯の支度をしながら浜に座って、彼女を見守った。

 小一時間ほどしただろうか、彼女は急に渚にむかって歩み始めた。その動きはどこか「決心」を感じさせた。それとも、地球のリズムに呼ばれたのか。そんな動き方だった。波のかぶる場所まで移動し、彼女は立ち止まった。今夜の波はやや荒く、大きな振幅がある。彼女が大きいカニだといっても、あらがうには大きな波だ。一体どうするのか、僕は固唾を呑んで見守った。

 大きめの波が来た。彼女はあえなく押し倒され、続く引き波で砂の上を転がった。やはりだめか。長い間迷って体力を消耗してしまったのかもしれない。一瞬諦めが頭をよぎった。しかし母さんガニは一気に立ちあがると、ハサミを高々と掲げ、ひときわ背伸びをした。
 …あ!
次の波が寄せてきたとき、彼女はお腹から無数の卵を放った。バッバッと大きな音がしそうなほど、渾身の力をこめた放卵だった。

© 2012 Shinya Imaizumi
大きな波に揉まれる母ガニ。

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放卵。

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母ガニの起こした小さな波がひろがっていく。

 彼女は続けて2回、両脚を踏ん張り、胴を震わせ、放卵をがんばった。未来のいのちを担う赤い帯が、海面を染めて流れていく。あとは、どれだけ魚たちに食べられずに生き残れるか。いくつかの卵は大きくなり、海流に乗って、ほかの浜に住みかを得るだろう。
 放卵はほんとうは明日だったのかもしれない。迷いが出る。海を彼女から遠ざけようとしていたものは他でもない、僕たちヒトだ。放卵は彼女の判断だったのだろうか。自然の呼ぶ声によるものだったのだろうか。関与は適切だったのだろうか。ひとつのいのちに関与したところで、全体が変わるわけではないことも知っている。だが、僕は心が満たされるのを感じていた。彼女が放卵してくれたことが、ただうれしかった。それは、小さくとも強力な、いのちの意志を目の当たりにすることができたからだと思う。

© 2012 Shinya Imaizumi

 母さんガニは陸に上がると、また長い沈黙に入った。アドキ島のそばから、ゆっくりと月がのぼってくる。その光が温かく彼女を照らし出す。今日明日明後日と、たくさんのカニたちが子どもを海に送り出すことだろう。月のリズムに導かれて、大昔からそうしてきたように、陸に暮らすカニの多くは、幼生期を海で過ごす生き方を続けている。
 僕たちヒトは、むかし海から陸へあがった記憶をどこかに置き忘れてしまった。けれど足もとを見れば、カニたちのような小さないのちの営みがある。見上げれば、どんな人の上にも月は輝いている。生きることの大切な指針は、足もとや頭上に、いつも用意されているのだ。

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               *

 翌朝、彼女の姿はなかった。朝食をパンで済ませ、「砂浜のゴミを撮影する」という、依頼の仕事をした。ファインダーに、ヒトのつくった物の朽ちた姿が映る。自然に朽ちてきたサンゴ石の砂浜にあって、どうしてもそれらは浮いてみえた。

© 2012 Shinya Imaizumi

© 2012 Shinya Imaizumi
モンパノキも、子どもたちを抱いていた。


翌週の深夜、ふたたびこの浜を訪れた。今度は妻と一緒だ。前回と違って風が強い。もちろん母さんガニの姿はない。ここが沖縄での僕の生き方を左右した、始まりの海。テントの中、隣で穏やかに寝息をたてている妻の存在がうれしかった。いま僕を支えてくれている彼女は、そのころはまだ10歳。僕らが知り合うのは、その10年後のことだ。そう考えると、とても不思議な気がした。
 テントの下から聴こえる、スナガニが穴を掘る音を聞いているうちに、いつしか眠りに落ちていた。

© 2012 Shinya Imaizumi
クロサギが波打ち際のスナガニをついばんでいく。

 朝を迎えると、アドキ島が今日も太陽の下にシルエットで望まれた。拡張された堤防以外は、100年前とたぶん変わっていない景色。
 沖縄で初めて泳いだ浜辺を、妻が歩いている。
母さんガニが子どもを託した浜に光が満ちている。
今日も太陽がすべてを照らしてくれている。
夜にはまた月が砂浜を照らしてくれる。
 カニの子どもたちは今ごろ、底の見えないような青い海をゆったりと、だが確実に旅をしていることだろう。

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第5回・ウークイ・エイサー




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